※あらためて【大学編】前期の成績

久方ぶりとなりました。

危うさいっぱいで前期を終えたニガツです。 成績は以下の通りです。

 

A: 4科目

B: 1科目

C: 1科目

F: 1科目

 

Fについて。

諸事情で倒れて意識と自信を失い、実習有りの科目を落としました。

この件では大学側、特に担当の教官へ迷惑をかけたことが申し訳なくて胸がズーンと痛みます。 以上、しなびれたニガツでした。

 

2017/09/27

あらためて。成績と事後報告。

しなびれたら枯れるより咲き誇りたいタイプなので笑

這い上がりました。静かに沁み入る恩義と温かな感謝の気持ちと感動を…短期記憶がどうもダメなので忘れますが、いつかふと思い出せたら嬉しいです。

 

それでは、成績に移りましょう。

 

A:5科目

B:1科目

C:1科目

 

TOEICがまさかの400点台でした。自己平均を大きく下回る値で自分にもライバルにも先生にも心苦しく感じています。

 

やたらAなのは…、加減が分からないからだと思います。

恐らく、履修すると決めたものはやり抜くのでしょう。

この調子で週明けの後期もふんばります。

以上、ニガツでした。

WAISⅢの結果、公開

パタパタしております。

 

お久しぶりとなりました。ニガツです。

 

取り急ぎWAISⅢの結果を載せます。

検査態度等はまた後ほど。


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数ヶ月後になってもいいや。

【大学編】走り書き

2017/04/08

IQの結果とできないto do

大学、やること多い

特に今は膨大なタスクがある

支援を受けていても教科書が買えんかった
手厚く助けてもらっているのに何もかもに追いつけず苦しい
とても悔しくて悲しい

様々なこと、特に時間制限のある物事が関係すると
特性上の苦手なアレコレがボロボロ出る

でも、やめられない
新たな友人や先生、職員の方々に助けられているのだから
ここで踏ん張る

【大学編】受験準備から合格まで。

お久しぶりとなりました。ニガツです。

 

まずは受験を終えられた皆さん、お疲れさまでした。

 

受験勉強というものは無意味であるとか大学に入学するためだけにあると言われがちですが、実用性に溢れていると僕は考えます。

そんなこと言ったら勉強なんて全て無意味だと言っているようなものだよ、と。

それに、自分自身で何かに対する意味を見出すことは有意義です。

確かに受験勉強が汎用であると気付くまでには長い時間が掛かります。

しかし、点と点が線になる時が訪れるまでひたすらマーキングするように勉強したり、努力を続けたりすることは、全てが必ず後の役に立ちます。

 

さて、前置きがながくなりました。大学受験の話です。

 

結論から書くと、発達に凹凸のある人は国立大学へ進むことが望ましいです。

なぜなら、国立大では合理的配慮が義務として課されているためです。加えて、私立大学では休学にもお金がかかりますが、国立大ではかかりません。

恥ずかしながら、後から知りました^^;

ニガツは親のスネの代わりに様々な利点を活用して参ります。 

 

今回の話も誰かの参考になればと思います。

 

変なやつが大学受験に迫られて準備と合格に至ったあれこれ。

 

受験勉強にかかった時間はおおよそ3〜4ヶ月でした。

最初から大学を目指して高校生となったのですが、経済的な事情から高校3年の夏に志望校を変えて、社会経験と受験資格を得るためにバイトも始めました。

進路担当の先生には大変、苦労も迷惑もかけたと思います。

それから、志望校変更に伴って受験科目も変わりました。

当初目指していた所は私大(以下C大とする)でしたので、テストはマークシート方式。

ですが、推薦入試問題で躓きました。

絶望的に和訳ができなかったのです。普通に受験した方が楽な程に困難でした。

○Aの評定を活用できないのかと残念に思いました。努力を積み重ねて保持してきたものであった分、手放すには惜しかったのです。

 C大には強い思い入れがあったので記念受験も考えましたが、高額な受験料を前に断念しました。

 

一方、国立大(以下D大とする)の試験内容はというと。

小論文と英語/日本語の面接です。

僕はセンター試験を受けていません。

普通に受験すると、苦手な科目で0点を取ってしまいます。

1科目全滅な状態で受験するのは不公平だと感じたので、D大の入試では少しでも有利に働く入試方式を選びました。 

 

しかし、それはあくまで若干有利になるというだけです。

D大入試においてはまず、小論文という壁にぶちあたりました。

小論とは論文よりも大雑把かつ小さなものです。作文とは異なります。

作文や詩を書くのが得意な人は要注意です。

小論に主観と表現力は不要だからです。

学校の授業で小論を教わったのはたったの1、2回程度。

それでも。

骨組みの知識や論理性自体を持たない無知な人間が1200字の小論を書かなければなりませんでした。

そう、入学のために。

1000字以下では読まれる機会さえ与えられない上にその場で不合格が確定となります。

僕はどれほど書いても勝手が分からず、試験本番でさえ1200字に近づけることのみを考えて書きました。

残念ながら、論じていません。

何を書いたのかも全く覚えていません。

実力の無さから下書きもしませんでした。丁寧に書けば時間がなくなるので、初めから清書です。

 

しかし、小論対策にも為になることがありました。

新聞やブログの見え方が変わったのです。作文風なのか、小論風なのかを区別できるようになりました。

いわゆるブロガーと呼ばれる方々は小論の技術を上手に活用しているのだと知るきっかけが小論対策だったので、セレンディピティですね。

 

さて、小論が何かさえ分からなかったのですが。

4月あたりから大学生の方々を見つけては小論の対策法を伺いました。

学生の方々から頻繁に耳にしたことが以下の3点です。

  • 新聞の社説を読む
  • 予備校へ通って習う
  • 専門とする人に添削してもらう、等

 

予備校に10万円以上払うことなど到底できないので、塾を選びました。

当初は無料体験入塾をして契約時に断っていたのですが、試験の時期が迫るとそうは言っておられず。

週に1度、個人経営の塾へ通いました。

 

生徒の皆さんは勉強のできそうな方々で萎縮しておりました。

先生はというと、独特で素敵な方でした。

ところが、僕はレベルの高い宿題ができずに途中で逃げ出したのです。

回避の後に逃避しました。

 

ですが、幸いにも国語科の先生方に恵まれていたので憧れの先生へ小論対策を委ねました。

頭の中に図書室でもあるのかと思わせるほど記憶力がよく、ツンツンしているのですが、どこか情熱的な方です。

 

また、得意な英語の面接においても試験となると言語の制限が必要だったので、同じ高校の別課程におられる恩師の先生にお願いしました。生涯の恩師のひとりです。

恩師の先生は試験前日の夕方まで面接練習に付き合って下さりました。

どんな面接でも余裕を持って臨めるのは恩師の先生のおかげなのです。

 

小論文に話を戻します。

 

ある日、文房具店で買った50枚の綴りの原稿用紙。分厚いなと思っていたら、そのほとんどを数ヶ月の間に消費しました。

裏にも表にも書いて書いて書き尽くしたのです。

しかし、書き尽くせば尽くすほど心が燃え尽きる感覚に苛まれました。

 

国語科の先生から添削してもらったのは4、5回ほど。

先生と過ごせて楽しい反面、非常に重圧ののしかかる時期でした。

 

原稿用紙まるまる1枚がボツになったときなんて、もう笑うしかなくて。

先生の前で様々な失敗を重ねて本番では成功するのだとイメージしながら小論対策に取り組みました。

ここまでくるとポジティブ思考病です。

その上、小論に取り組む間には「〜だと感じます。」という言葉を日常生活から排除しました。

日ごろから頻繁に使う言葉ですが、小論で用いてはならなかったからです。

また、先生も全身全霊でぶつかって下さりました。その他の先生方が止めに入っても、時には就業時間を超えてまでも。

全力で添削して下さりました。

更に、先生の添削ではいつもtipsが入るのです。

社会学者の誰々を知ってる?ホニャララ。あの人もニガツさんと同じことを書いていました。でも、あなたがそれを書いてはいけませんね。ダメです。」

「紙媒体の話ですけどね、世の中には紙質に拘る人も居るんですよ。」等。

先生を前にすると、何でも知っているんじゃないかという錯覚さえ起こします。

神神しくて近付けません。

 

そして、多くの方がそうであるように。

受験生は高校生ですから、学校の試験もなおざりにはできません。

これも発達の凹凸、または性質でしょうか。

期末試験の勉強に関しても過集中と虚脱を繰り返して這い上がりました。

個人としては点数主義に反対なんですけどね。

加えて、生活状況と精神状態が厳しかったので、学校の心理士や養護の先生方にも大変お世話になりました。

教わって考えた全てが日常生活でも生きています。

とは言っても短期記憶が乏しいので、意味付けをしたり、人に伝えたりすることによって復習する必要がありますが。

 

家庭に複雑な事情を持つ僕に福祉関連の場所へと助けを求める術を教えてくれたのは授業と先生と教科書でした。

 

こうして危うげにも大学入試を乗り越えて合格したものの

後には更なる困難が待ち受けていたのでした。

続く。

 

画像は大学院生の方から勧めてもらって読んだ本です。600-800字の小論向きです。
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保育園からの振り返り。

僕が唯一通った私立は保育園であった。

そして、初めての中退も保育園の頃にやらかしました。

 

以下、気付いたこと。

  1. 団体行動が困難
  2. 朝起きられない
  3. 子どもらしく居られない
  4. 消極的な意味で皆と違う

 

1に関しては書くまでもありません。

「皆で一緒に遊びましょう。」と先生が言っても遊び方が分からないので、空回りするのです。

 

2は家庭環境が大きな要因となりました。

複雑な家庭なので、詳細に関してはまたあらためて書こうと思います。

母の帰りを毎晩遅くまで待っていたので、当然ながら昼夜逆転の生活を送っていたのです。

保育園なんて行きたくないよ。やだやだー!

不登校あるあるとして多いのではないでしょうか。

 

3と4については、集団に属して初めて鮮明に気が付きました。

当時の実家が自営だったこともあり、僕は大人の中で背伸びをして育ちました。

子どもじゃいられなかったんですね。

邪魔者扱いされると家で独りぼっちになるので、仕事を手伝えるように3歳の頃からスキルを磨いて仕事を任されておりました。

しかし、裏を返せば子どもっぽさを失う過程でもあったため、保育園では同年代のおともだちと話が合わなかったのです。

幼児番組を観るならドキュメンタリー番組か政治討論番組が観たい。 

 

かわいくないですよね〜。

 

そんなマセガキが嫌々ながら登園すると、

否が応でも皆との違和感を感じるのです。

ある日、保育士の先生が僕たち園児に好きな音楽の入ったカセットテープを持ってくるようおっしゃりました。

他の皆は当時流行っていた童謡や語学の歌の入ったテープを持って曲をかけて楽しんでいたのですが、

僕だけが演歌のテープを持って行くという赤っ恥をかきました。

好きなんだもん(><)

 

しかし、それでもまだ常識の範囲を逸脱しない程度の変わり者と認識されていたのだと推測します。

真実は保育士の先生も覚えておられないでしょう。

 

しかし、これでは

 

当たり前に浮きますよね。

それでもなんとか体を動かすレクリエーションの時間に限ってはおともだちがいました。

いじめられることもありましたが、変わった子どもに理解のある一人の先生からとても良くしてもらった記憶が残っています。

 

けれども終いには早起きができず、保育園を中退したのでした。

中退に関する最大の原因は、いじめです。

まあ、子ども同士ですから今では笑い話として良い思い出となっております。

はじめに。

地方在住のニガツと申します。

機械音痴なのでいつまでブログが続くのか不透明ですが、まったりと日々のあれこれを綴って参ります。

 

長期引きこもりでした。

 

おまけに適応障害を持つLGBT当事者のひとりでもあります。

長い年月を家の中で過ごしておりました。

物に執着しない性質のおかげで、なんとか貧困でも生きてこられたのでしょう。

 

発達障害を知ったのは今から約4年前。

長いブランクを経て高校へ通い直したことがきっかけでした。

 

余談ですが

転編入も合わせると卒業までに4度の高校受験を経験しております。

そうそう経験できるものではありません(笑)

 

小学校でさえ、何度も何度も転校しました。

それでも不登校だったので、義務教育を受けた年数は多く見積もっても3年程度です。

 

そんな僕が級友のおかげで発達障害という言葉と出会いました。

それでも尚、

 「自分には関係ない、計算障害だから。」

当初はそう思っておりましたが、後にいろいろ様々ございまして。

2016年末にひょんなことからWAIS-Ⅲを受け自分が発達障害であるとようやく気が付きました。

ある程度察していましたが、心地の良いものではありません。

 何せ、またひとつ障害が増えてしまったのですから。

 

それでも、人生は思いがけないできごとの連続です。

試みの多くは失敗に終わりますが、必ず報われることもまた多いと信じています。

 

僕が行動する上で出会ってきた心のある支援者の方々へいつの日にか恩返しをするために。

そして、なによりも自分自身を大切にするという言葉の意味を理解するために。

 

ぽってかすのアラサー発達障害、大学へ行く!

 

はじめたいと思います。

 

ニガツでした。 

 

注。機械音痴なのでアフィリエイトには参加しておりません。